「歌って学ぼう英語の発音」講師の李春喜先生にインタビューしました。
9月9日(日)午前10時30分から3回目の講座が実施されます。それに先立ってインタビューを試みました。「なんで、歌、うたうのか?」、「英語の勉強はどうするのがいいのか?」など聞いてみました。
ー 今日は講座についてちょっと真面目に講師の声を聞いてみたいと思いまして、お出でいただきました。まず、大学の英語の授業で歌をうたっておられるそうで、その動機あたりから伺いたいと思います。
学生が聞いてきた なんで英語の授業で歌うのか
実はこの間も「先生はどうして授業で歌をうたわせるのか聞きたい」と言ってきた学生がいたんです。そこで「そんな深く考えてないよ」って答えたんですが・・・。
ー 大学の講義で、授業で歌を歌うわけでしょ?
「それを聞きたい」と言われてドキッとして、研究室に呼んで「そんなの(動機)ないよ」って答えたんです。
ー 理論的支柱がですか?
話し出したら長くなるし、「言語とは何か」、「歌をうたうとはどういうことか」みたいなことを話し出すと、大きな話しになるので。だから「歌、うたったら楽しいやろ」とだけ答えておきました。
英語の勉強というと、中学で受験英語を勉強して、高校でも受験英語を勉強して、高校に入ったら大学受験のために英語の勉強をして、大学に入っても就活のために英語勉強して、という感じで、英語の勉強の仕方が偏っていると思うんです。日本という社会の中ではふつうなのかもしれないけれど、世界的に見たら、私たちの英語の勉強の仕方ってかなり変ですよ。受験英語とか、TOEIC対策の英語とか、英検対策の英語とか、日本だけじゃないですか。楽しくないですよ。
「何かに役に立つ」「便利だから」「実用的だから」という理由で英語の勉強をするのだったら、それはもう機械でいいんですよ、これからは。
歌をうたうっていう行為は、「ハンバーガー注文する」とか「道を聞く」とか、何か必要があってすることではないですよね。必要っていう意味なら、歌なんかうたわなくてもいいわけですから。でもどうして歌をうたうんだろうって。そういうところからですかね。
言語使用の種類ーー情報伝達と自己表現
言語使用には二種類の側面があって、一つは情報伝達のための言語使用。情報、つまりメッセージを伝えることが主たる目的ということですね。「道を聞く」とか「ハンバーガー注文する」とか。もう一つは「歌をうたう」とか。例えば、「誠に恐れ入りますが、そこのクーラーの温度を少し下げていただけないでしょうか」と言うのと、「お前、こら、そこのクーラーの温度下げろ!」と言うのとではメッセージという意味では一緒ですよね。どちらも、第三者に何かを依頼するというメッセージなんですけど、言語を使用するという観点から考えると、言語を使用することで、メッセージを伝えると同時に、その言語を使用した個人の人柄が表現されますよね。要するに自己表現なんです、言語というのは。その両方の側面があります。でも、私たちが学校で勉強している英語の勉強は、メッセージを人に伝えるということだけに焦点が当たっていて、言語を使ったときに自分という人間、この世に一人しかいないわけですけど、唯一ここにしかいないという自分が表現されているということが置き去りにされていると思うんです。
語学の教師としては、私は、「何か用事を済ませる」とか「便利だから」という言語の機能的な部分にはまったく関心がないんです。そんなことは機械にやってもらったらいいと思っています。私は、言語を使用することによって自分というものが表現される、ということに関心があるんです。だから、機械が歌をうたってもしようがないんです。当たり前ですけど、機械が歌をうたうことと自分が歌をうたうこととは違いますよね。
よく英会話の練習で、「じゃあ、ここはファーストフードの店と仮定して、ハンバーガーを注文する練習をしましょう」というように、状況別に英会話の練習をするテキストがあります。“Can I help you?”、 “May I help you?” と店の人が言います。それに対して、“I’d like to have one cheeseburger and one small coke” と答える。「はい、じゃあ、一緒にやってみましょう」みたいな。でも、そんなのいくら練習しても――無駄じゃないけど――それ、じゃあ、アメリカに行って、ファーストフード店で、一言一句、そのとおりに英語を使うかというと、誰もそんなこと言わないわけです。アメリカのマクドナルド行って、そのとおりに会話が運ぶことなんてまずあり得ないですよ。でも、ここで、エルビス・プレスリーの歌を一曲、今、歌えるようになったら、世界中どこへ行っても、そのエルビス・プレスリーの歌を知っている人と一緒にうたえるじゃないですか、その場で。そういう意味では、そっちの方が楽しくないですか?
マクドナルドでハンバーガーを注文するシチュエーションの英会話のやりとりがまったく無駄だとは言いませんが、そんなの、アメリカへ行ったら、最初の一語から違うと思うんです。でもここでビートルズの曲を一曲まるまるうたえたら、それはそのまま、世界中で世界中の人たちと一緒にうたえるじゃないですか。歌をうたえる方がいいと思いませんか?そういう話しをしたんです。
英語学習のモチベーション
そういう話しをしてて、英語の勉強って、日本でふつうにやってる英語の授業が一方であり、私みたいに英語の授業で歌をうたう教員がいる。それで、授業が終わった後に「ああ、なんか英語楽しいな」とか、「もっと英語の勉強してみよう」とか、モチベーションが上がるのはどっちだと思います?私も調べたことはないけれど、例えば人前で、クラスという教室で、教員に言われて無理やりうたわされるのは、「それは嫌い」とい言う人はいます。「絶対、それは嫌だ」って言う人はいると思いますが、どんな人でも家に帰って、一人で部屋の中で自分の好きな曲を鼻歌でうたうとか、一人でうたってみるとか、お風呂の中でちょっと機嫌のいいときにうたうとか、歌をうたうのが嫌いな人なんていないと思うんです。ちょっと、話しが大きくなりますけど、人類学的にいって、どんな人種の人間も、どんな民族の人間でも、どんな文化の人間でも、どんな言語を話す人でも、どんな信仰を持っている人でも、歌をうたわない民族とかいないと思うんです。歌をうたうというのは人間にとって本質的なことだと思うんです。嫌いな人は絶対にいない。だから、教室でうたわされるのは嫌かもしれないけど、「うたっているときは楽しいやろ?」っていう話しです。それはまあ、動機の話しと繋がるんですけど、英語で歌うたえるようになって嬉しいな、楽しいなっていう気持ちになるやろうし・・・。
歌は教材としてもいい
同じ話しですけど、別に歌じゃなくても、オバマのスピーチでも、アメリカ大統領のスピーチなら誰でも、マーティン・ルーサー・キングのでもケネディのでもいいんですが、有名なスピーチを覚えるのでもかまわないのですが、スピーチを100回繰り返すのと、歌を100回繰り返すのとを比べると、歌は100回でも繰り返せる、何回でも飽きずにうたえる、練習できます。でも、スピーチは飽きます。飽きてきます。教材として、そこで色々な表現を覚えたりするのは同じでも、スピーチに比べて歌は飽きがこない。歌えるようになるまで、放っておいても何回も何回も自分で練習します。だから、教材としてもいいと思います。
例えば、幼稚園児をイメージしてもらったらいいと思うんですけど、幼稚園児は、幼稚園に最初に行くとき、とりあえず日本語は話せるし、日本語は聞き取れます。日本語のやり取りはできます。でも、幼稚園児に文字の読み書きができるかというと、まだできません。漢字はもちろん、ひらがなも書けません。でも幼稚園に行ったら、みんな歌をうたいます、日本語を習得するときに。どうして歌をうたうんだろう?みんな、幼稚園行ったら歌をうたいますよね?あれはやっぱり、言語――この場合は母語ですけど――習得の過程で、まだ文字が十分に読み書きできないとき、とりあえず話したり聞き取れたりできるのなら、そこで歌を何曲か教え込むことは、言語習得のある過程で必要なのではないでしょうか?まだ英語は自由に書けないし、自由に読むことはできなくても、歌はうたえるじゃないですか。それは母語の習得の過程と同じだと思うんです。もちろん、読み書きと同時に進めるのですが、そこで歌をうたうってことは、言語習得という意味では自然なことなのだと思います。
読み書きというのは脳がする行為ですよね、読んだり書いたりするというのは、じーっと黙って。でも、話す聞くという行為は、当たり前ですけど、話すときは喉から、声から、舌から、舌の先から、口の形から、ものすごく身体的なことです。それで、聞くというのは、受動的なことだと思っていますが、耳のどこかで音が響いて、その音を神経が脳に伝えて――私には詳しいことは分かりませんけど――音が聞き取れるようになる。そういう意味では、日本の英語教育はちょっと脳の活動に偏り過ぎている。でも、脳の活動と同じくらい、というか、むしろそれ以上に身体を使う――言語習得において身体を使う――ということを意識しないとダメだと思うんです。それで、色々なことができると思うのですが、その一つとして歌をうたう。「みんな英会話できるようになりたいやろ?英語が聞き取れるようになりたいやろ?それやったらもっと身体を使わなきゃダメだ」ということで、もう少し身体を意識するという意味でも歌はいい、そんな話しをしたんですけどね。
公民館でやってみて
ー 去年の夏から何回か公民館でやっていただいてるわけですけど、どうですか、やってみられて?大学生とはまず反応が違うでしょ?ご高齢の方が多いし・・・。
ここでやらせていただいて、初めは私も手探りだったんですけど、確信したのは、私は「小さい子どもを教えるのは下手だ」ということですね。それに対して一般の方は――今のところ二回ぐらいですね――大失敗ではなかったと思うんです。だからと言って大好評かといえば、大好評というわけでもないと思うんですけど・・・。ここでやらせていただいてありがたいのは、みなさん、希望されて参加されているので、そういう意味ではそのご希望に――それを裏切らないようにしなければいけない――沿えるような講座にしなければいけないという部分が、いい緊張感になっているという気持ちはありますけど。
英語の勉強法について
ー ありがとうございます。あと、一般の方に、あの、英会話、みんなやりたいみたいなんですよね、一般の方。それで英語の勉強をするのに、何かアドバイス、というか「こういう風にやったほうがいいよ」とかありましたら。
本当に近道はなくて・・・。よく「聞き流してできるようになった」とか、「三週間で話せるようになる」とか言ってますけど、あり得ないですね。だから、本当に「急がば回れ」で、コツコツ地道にやるのが王道ですね。それでやっぱり、一番の近道は文法をきっちりやることですよ。今は本当に中学・高校・大学で文法が軽視されていて、「文法なんかいらん」「話せたらいい」「英会話ができたらいい」みたいなことになっているんです。現実、文法の時間というのは減らされているんですけど、でも、語学習得の最も近道は文法をきっちりやり直すことですね。そうすると、まず読めるようになります。それを規則も分からないのに、英会話のまね事をいくらやっても、それは本当にどこにも到達しないと思います。本当に時間の浪費ですよ。
ー 今は通訳してくれる機械とかありますよね?
そうなんです。用事を済ますんだったら機械の方がぜんぜん速くて・・・。「自分が英語を話したい」「自分が英語を聞き取りたい」って本当に思うなら文法の勉強をやるべきです。
ー 最後に、英語の先生をなさってますけれど、中・高・大と英語、お好きでしたか?
私は好きでしたね。基本、好きか嫌いかと言われたらもちろん好きですよ。好きじゃないと三十年も勉強しないですよ。
ー 子供の頃から、よく勉強をしてこられましたか。
いや、してないです。いや、してないことはないですけど、どういうことですか?
ー 若い時から特別に勉強をして海外留学をしないと語学は身につかない、とかいう迷信があるじゃないですか。
ああ、それはそんなことないと思います。それは100パーセント、きっぱりと否定しておきます。留学してないけど流暢な英語を話す人はいっぱいいますし、もう何十年とアメリカにいるけど、未だに話せない人もいます。それはあんまり関係ないと思います。
ー いつからでも?
もちろん。
ー 心がけ次第で?
はい。但し、毎日コツコツ。
ー 結構、やっぱり時間かかるものですよね?
どのへんのレベルを目指されるかによっても違いますけど、とりあえず、毎日コツコツ、10年と言っておきます。
ー ありがとうございました。